2010-11-01から1ヶ月間の記事一覧
内村鑑三のエンタもこれといったいいものがありません。 画像上は、せめて第1種便も特殊扱いの非郵趣家便で、と思って購入したものです。 亀有病院から弁護士宛の至急・書留って何でしょう? 第1種便書留 東京亀有 26.6.21 画像下は、3枚貼った船便書状です…
文化人切手の8番手は内村鑑三(1951.3.23発行)です。 この切手は特印や小型印の類が使われませんでした。 また、輪転機で印刷したため、版番号も見ることができません。 ということで、なかなか収集においては変化がつけにくい切手です。 おまけに極めて消…
狩野芳崖の版番号は1-9まで存在します。 いちおうすべての番号がこれまでに確認されていますが、 私は「8」だけ縁がなくて未入手です。
この切手は狩野芳崖の誕生日である2.27に発売されました。 出身地である下関市長府の切山寺では、狩野芳崖翁記念祭が開催され、 3.5まで特印が使用されています。 使用局は東京中央、麻布、とゆかりのある局である下谷(東京芸術大学がある)、 下関、下関東、…
狩野芳崖(1951.2.27発売)に移りましょう。 派手な印刷モレシートのご紹介です。 左下部分が何かに重なったのか、印刷されていません。 検印がついていますから、本来は世に出ないはずのシートだったのでは ないでしょうか。 以前にオークションで意外に安…
新島襄の版番号は1-10まで存在します。 そのなかで唯一、版番号「4」だけが未確認です。 画像はその4を除く版番号です。 はじめのうちはペアなどで即売会で売っているものを集めるのですが 途中からは手詰まりになり、シートで買うことになります。 ところ…
新島襄は、天保14年(1843年)に安中藩士の子として生まれました。 その後21歳で渡米しキリスト教徒となり、帰国後父母の住む安中へ帰郷して、 キリスト教を広めたのです。 画像は新島の生まれ故郷である安中の使用例です。 人物にはそれぞれにゆかりの土地…
新島襄(1950.11.22発行)に移りましょう。 発売日は新島襄没後60周年で、同志社大学創立75周年にあたる日です。 切手の発行にあわせて、「新島襄60年祭」の特印が 東京中央、麻布、群馬中央、京都中央、中京、西陣の各局で使用されました。 画像は3枚貼った…
市川団十郎の版番号は1-5であることがわかっています。 画像は昨年JAPEXに出品したリーフのひとつですが (記念特殊切手研究会の特別展示) 1-5がすべて揃っています。 このなかで「3」が事故版で、実用版になんらかの問題があって その版による印刷部数が…
広島 26.1.1の消印が押された図入り年賀印です。 年号がやや読みにくいのですが、図が「うさぎ」ですので、自動的に 26年だとわかります。 図入り年賀は戦前の昭和11年から13年と、戦後の25年から31年に使われた 消印で、コレクションの人気アイテムで、オー…
九代目市川団十郎(1950.9.13発行)に移りましょう。 9.13という発売日は彼の命日です。歌舞伎役者ということで印面の九代目市川団十郎の 文字は勘亭流になっています。刷り色も彼の十八番だった助六にちなんで江戸紫が 使用されているということです。 この…
文化人切手には、速刷機で刷られたものと、輪転機で刷られたものとが あります。 内村・樋口・森の3種は輪転機、それ以外は速札機で刷られていますが なぜか坪内だけは両方使われていて、それぞれ6種の実用版が使われました。 輪転機の場合、版番号(実用版…
文化人切手では、第1種便2倍重量便集めは比較的やさしいと書きましたが 3倍重量便以上となると極端に少なくなります。 画像は第1種便3倍重量便で金沢 26.8.24です。 実は先日のJAPEXで、野口英世の5枚貼り第5種便5倍重量便というのが売っていたのですが 消印…
文化人切手の第4番目・坪内逍遥に入ります。 この切手は坪内の生誕90周年を祝う「第15回逍遥祭」に合わせて 25.5.23に発行されましたが、実際には印刷が追いつかず 5.23に発売されたのは特印が使用された東京中央・日本橋・麻布・落合長崎・ 牛込・早稲田大…
夏目漱石の版番号は1-14番までです。 かなり収集を進めてきましたが、どうしても「10」だけ確認できません。 夏目のシートをお持ちのかたは確認してみてください。 もしかしたら欠番(何らかの事故で実用版が使えなかった)可能性も 否定できませんが・・・…
1948年から50年にかけて、大阪で、戦前に使用していたタイプの 欧文ローラー印である「縦型ローラー印」が使用されました。 画像は年号が読めませんが、夏目の発行時期から OSAKA NIPPON 1950.4.17 とわかります。記念・特殊切手を台切手としたこの消印の印…
貼ってある切手が3枚から5枚に増えます。 これは韓国宛の航空書状です。 この時期は朝鮮宛の書状は国内と同じですから8円です。 航空加算料金は第1地帯宛相当なので10gごとに16円。 つまりこれは10gから20gまでの航空便で、8円+16円×2となります。 消印は東…
8円時代の文化人切手にもっともよく見られる外信便は 3枚貼りの船便書状=24円です。 8円12種すべて揃えることも可能だと思います。 ただし欧文櫛型印で揃えようとするとこれは相当難しい。 和文櫛型印と欧文櫛型印ではちょっと価値が違うと思います。 これ…
夏目漱石(25.4.10発行)に移りましょう。 これは一番上の目打ちがもれているシートです。 切手の3辺を一度に目打ちする「櫛型目打」と呼ばれる方式で あと最後の一回をやると、上に抜けるようになるはずだったのですが この1回が施されていないのです。 右…
福沢諭吉も3000万枚と大量発行されましたが、それだけ 多くの実用版が使用されたようです。 耳紙についた版番号(実用版管理番号)は1-12まで存在することが わかっています。 野口と違ってそのすべての番号が確認されていて、画像のように 私も一通り所有…
「郵趣」にも書きましたが、文化人切手は発行部数が多いので 2倍重量便であれば、けっこうな数が残っています。 もしかしたら18種すべて揃えられるのでは?と思うほどです。 さすがに揃えようとはしていませんが、半分くらいはあります。 画像は福沢の第1種…
文化人切手の中には、発行にあわせて特印が用意されたもの、 小型印が用意されたもの、どちらもないもの、が混在しています。 福沢の場合は「福沢諭吉五十年祭」の特印が用意されました。 福沢が創設した慶應義塾大学と、出身地である大分県中津市とで この…
福沢諭吉(25.2.3発行)から目打ちモレエラーをご紹介しましょう。 先日取上げた野口と違って、こちらは裏糊までしっかりついています。 日専にも無目打ちペアの記載がありますね。 だいぶ前にオークションで落札したものです。
野口は当時の記念切手としては一桁多い3000万枚が印刷されました。 発行日(24.11.3)以降も印刷は続けられ、きのうご紹介したように22もの実用版が 使用されたわけです。 疑問はタイプⅡはいつから出現するかということです。 古い記録には25年春からというよ…
文化人切手のうち、内村・樋口・森を除く15種には 耳紙に「版番号」(実用版管理番号)が見えるシートがあります。 大量発行された文化人切手はそれだけ多くの実用版をつくって印刷していたのでしょう。 たとえば野口の場合、1-22まで版番号はあるとされて…
野口英世を貼った、日本占領軍英連邦基地宛の郵便(B.C.O.F便)です。 松山 25.11.19 呉を中継してイギリスの占領基地に送られた外信便ですが 国内封書と同じ料金が適用されていました。 以前に夏目漱石を貼った同様のエンタを紹介したこともありましたね。 …
野口英世の黒色機械印です。けっこう珍しいものです。 御影 24.12.23 文化人切手の発行期間のほとんどである、25.3.1-28.10.14までは 機械印は「とび色機械印」でした。 以前にとび色機械印の文化人切手18種揃いもご紹介していましたよね。 http://blogs.ya…
きょうは11月3日の文化の日。 1年で一番晴天になる確率が高い「特異日」です。 文化人切手の第1号野口英世が発行されのも61年前の文化の日でした。 画像はその初日実逓便(24.11.3)です。 封書料金8円の2倍重量便(20g超40g以内)で、ペアで野口が貼ってあ…
野口英世のプルーフ(試刷)です。 日専には無目打ちペアの記載がありますが、これは紙が薄く裏糊もないので プルーフでしょう。 以前にオークションで落札したものです。
『郵趣』11月号に書いた記事「シリーズ切手収集に花を添えるエンタイア」で 文化人切手を取上げましたので、それと連動して今月は文化人切手特集をお送りします。 文化人切手は1949年から52年にかけて18種発行された、日本初の本格的なシリーズ切手で、 統一…